会社員の家庭に生まれる。父親は
関西大学を卒業して
カネボウに入社したが、
慶應閥の会社だったため出世できず、そのため秀樹の母は子供たちに学歴の重要性を叩き込んだ
[和田寿栄子『子供を東大に入れる母親のちょっとした「習慣術」』p.54(祥伝社、2006年)]。
1965年、母親の意向で教育程度の高い私立幼稚園に入園。大阪の公立小学校に入学した時には
平仮名や
片仮名から
漢字の一部まで読み書きできるようになっていたため、大阪市内の名門公立小学校に1年生の2学期から越境入学
[和田寿栄子『子供を東大に入れる母親のちょっとした「習慣術」』pp.125-126(祥伝社、2006年)]。しかし小学校2年生のとき、父親の転勤で
東京都練馬区に転居。このとき、小学校で「
関西弁、関西弁」と囃し立てられて仲間外れにされる
[和田寿栄子『子供を東大に入れる母親のちょっとした「習慣術」』p.75(祥伝社、2006年)]。このため小2の2学期から
千葉県の
津田沼の社宅に移り、地元の小学校に転校
[和田寿栄子『子供を東大に入れる母親のちょっとした「習慣術」』pp.126-127(祥伝社、2006年)]。小4のとき父親の転勤で
兵庫県に転居し、塾に通い始める
[和田寿栄子『子供を東大に入れる母親のちょっとした「習慣術」』pp.129(祥伝社、2006年)]。小6から
伸学社に通い、私立トップ進学校である灘中学校に5番で入学したものの、入学後は勉強しなかったため灘では中の下の成績に落ちてしまった
[和田寿栄子『子供を東大に入れる母親のちょっとした「習慣術」』pp.158(祥伝社、2006年)]。灘でも陰湿な
いじめを受け、教壇の後ろの大きなゴミ箱に閉じ込められて鍵をかけられ、授業の間じゅうそこに押し込められたこともあった
[和田寿栄子『子供を東大に入れる母親のちょっとした「習慣術」』p.77(祥伝社、2006年)]。その他、泳げないことが知られたときはプールに連れ込まれそうになり、2時間ほどクラブの部室に立てこもったこともあった
[和田寿栄子『子供を東大に入れる母親のちょっとした「習慣術」』p.78(祥伝社、2006年)]。このとき、秀樹の母は「あなたの性格を直さないとどうしようもない」と言いつつ、「どうせあなたは自分を変えられないから、違うところで見返しなさい」と檄を飛ばして得意分野を見つけるよう促した
[和田寿栄子『子供を東大に入れる母親のちょっとした「習慣術」』p.78(祥伝社、2006年)]。